2008年8月16日 (土)

国家主義の虚構

昨日は終戦記念日だった。東京の靖国神社には15万人の参拝者があったという。北京オリンピック開催中ということと、福田首相は靖国参拝を行わなかったことから、「神の国」発言や憲法改正を唱えた安倍前首相のときの昨年に比べるとあまりマスコミでも話題にもならなかったようだ。

昨夜、オリンピックの女子サッカーと同じ時間に放映されたNHKスペシャルで、「果てなき消耗戦 証言記録 レイテ決戦」という番組が放映された。これは太平洋戦争の一大転換点となったレイテ決戦の当時を知る日本、アメリカ、フィリピンの生存者の証言と当時の記録を集めたものだ。

昭和19年秋、戦局は悪化し、太平洋においてアメリカ軍の反攻が進みつつあった。そんな中、台湾沖海戦で日本海軍が空母11隻をはじめとするアメリカの艦隊を撃破したというデマ情報を真に受けた大本営発表で日本は油断しきっていた。そんなときレイテ島沖におびただしいアメリカの艦船が現れ、激しい集中砲火でレイテ島に上陸し、日本軍守備隊は壊滅的な被害を受けた。ところがその情報は日本本土に正しく伝わらず、大本営はアメリカ軍は台湾沖で壊滅的被害を受けた残存勢力と考え、1個師団を補給体制もないままに送り込む。現地に着いた部隊は、退却してくる日本軍に遭遇し事態の重大さに気付く。

物資、戦力で圧倒する米軍に日本軍は制圧され、補給を絶たれ、食料もなく兵士は倒れていく、特にリモン峠での戦いは悲惨であった。周りには累々と屍が横たわる中消耗戦が続く。日本軍は命令により退却は許されず、弾薬もなく、絶望的な斬り込み攻撃をかけて戦死していく。日米双方の兵士はお互いに、戦友を殺された復讐心に燃えて憎しみを増していく。

ある日本軍元兵士は、部隊を守るため軍命にそむいて部隊を退却させた大隊長が、上官から命令違反をとがめられ、部隊を引き連れて再突撃を命じられるが、大隊長は部隊をおいて一人で突入し戦死した話を涙を流しながら話されていた。追い詰められた日本軍はレイテ島からセブ島に転進(退却)する。しかし1万人の将兵に対して渡るための船は4隻しかなく、戦闘可能な900人だけが渡り、残りは自活してレイテ島死守を命じられる。

日本軍は食料を現地のフィリピン人から奪い、ゲリラの疑いをかけたフィリピン人を拷問し、情報が漏れないように殺害する。こうして憎しみの連鎖はますます高まり、日本軍は孤立し、山中に立てこもり赤痢や餓えで倒れていく。昨年、フィリピンに旅行する機会があり、今もフィリピンの人々の間には日本に対する憎しみが残っていることを感じたが、こういう話を聞くとそれは当然であると思う。そんな中、当時15才の少女だったフィリピン人の女性に、あるときひとりの弱った日本兵が現れ、彼女は食物を与える。彼は彼女に自分の妻と二人の子どもの写真を見せ、それを日本に送って欲しいと頼む。その写真はごく普通の幸せな家族の写真であった。彼女はその弱りきった兵士とその平和な家族の写真の強い印象を今も忘れられないと述べていた。

結局、レイテ島の戦闘では日米比合わせて10万人もの犠牲者が出た。日本軍は97%にあたる8万人の将兵が戦死という悲惨な結果になった。このようなことに至った原因を考えると、そのような無謀な作戦の背景には、日本の皇国史観を根底とする狂信的な国家(国体)主義思想があり、日本を天皇が現人神である神の国とする国家神道と、それに伴う不敗神話、戦死者を軍神として祀り上げる靖国思想がある。ここから日本国臣民は天皇に象徴される国体のために殉じるのが当然と言うことになる。そこから投降禁止や特攻攻撃などの非人道的な思想が出てくるのだろう。今のイスラム原理主義の自爆テロとも共通している。私も国のため家族のために命を捧げた方々には心から哀悼の意を表する。私もその当時生きていたら同じようにするしかなかっただろう。しかし靖国神社を参拝する人の気持ちは十分理解できるのだが、その動機は貴いがその行為は問題があると思う。靖国神社に祀られる戦死者を含む310万人もの戦争犠牲者をもたらしたのは、まさに靖国神社に象徴される虚構の国家主義システムにほかならないと思うからだ。それが虚構であることは、神風が吹くどころか、2個の原爆をもって戦争に完膚なきまでに敗れたこと、そして天皇の人間宣言で証明されたと思う。靖国神社は戦死者を悼む単なる宗教施設ではなく、国家主義の虚構の名残なのだ。そして戦後63年を経てもその虚構は折あらば亡霊のように頭をもたげてくる。

その中で前述の当時15才の少女だったフィリピン人女性の証言は心を打つ。確かに私たちは巨大な社会のシステムの中に生きているが、私たちの生きる地に足のついた生活の場における、人と人との交わりの中に真実がある。イエスは「神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」と言われた。イデオロギーとしての神の国ではなく、私たちの内にある神の国に生きたいものだと思う。

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2008年5月 5日 (月)

教会のお葬式

ゴールデンウイークのさ中、私たちの教会の会員のご高齢の婦人が亡くなり、教会でお葬式を行った。教会での葬式はこれで2回目だったが、私は葬儀委員長として牧師と協力して準備や段取りに追われた。

故人は長く天理教を信心して来られた方だが、娘さんが国際結婚されクリスチャンになったのを契機に、子供やお孫さんが次々にクリスチャンになって、それを追うように教会に来られるようになり、86才で受洗されたのだった。

1週間ほど前に体調をくずし病院に入院されたが、亡くなる前日、牧師が彼女に信仰の確認をしたところはっきりとイエス・キリストへの信仰を告白された。臨終に際しては、同居されていた娘さんと海外から急遽帰国された娘さんと牧師に見守られて安らかに息を引き取られたという。

教会の葬儀は不慣れながらも質素で心のこもった手作りのよいお葬式だったと思う。キリスト教では死は終わりではなく、永遠の安息の始まりである。ご遺族や参列者の方々も平安と慰めに満ちた葬儀によい印象を持たれたようだった。このやすらかさは聖霊の臨在から来るものなのだろう。

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2007年9月29日 (土)

ギデオン広島全国大会

9月20日から23日まで広島でギデオン協会の全国大会が開かれた。私たちは20から22日まで参加した。今回は同じ中国地区のよしみで、近隣支部のほか鳥取や山口など離れた支部からも会員が応援に駆け付けた。私はパワーポイントの担当で、大会のプログラム進行のパワーポイントファイルの作成、プロジェクターでの表示スライドの切換えなどの作業に追われた。我がPC班のメンバーは、リーダーの広島支部のI兄、鳥取支部のF兄、山口支部のM兄、倉敷支部からM兄と私で、大会前からインターネットでデータをやりとりしながら準備作業をしてきた。それでも実際のところ翌日のファイルがまだできていなくて、当日のプログラム終了後、夜中までかかってファイルを作成するという綱渡りだった。

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さらに大会に入ってからも、飛び込みでスライド作成を依頼されることが度々で、準備作業している私たちのところに誰か近づいてくるたびに、また何か急な仕事を依頼されるのではとびくびくしていた。そんな状態で、いざというときにファイルが見当たらなかったり、ひやひやだったが、主の助けにより、大きなトラブルもなく終了し感謝だった。

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バイブルアワーの講師は植竹利侑先生で、晩餐会の音楽ゲストは岸義紘先生だった。岸先生は聖約教団の修養会に続いて2週連続でサクソホンを堪能した。岸先生は曲名以外は一切話されず、ミュージシャンに徹しておられた。その謙虚に仕える姿勢に感銘を受けた。それはひたすら聖書を配るというギデオンの精神とも共通するものであり、今回参加されたギデオン会員の中にも、すばらしい信仰の先輩が多数おられるが、そうした地味な働きに徹することは、栄光の位を捨てて人となられたキリストの謙卑に通ずるものであると思わされる。

Img_1363_2 Img_1370 Img_1365 Img_1369_2 おかにたてるあらけずりの( 「MVI_1366.AVI」をダウンロード

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2007年8月15日 (水)

終戦記念日

今日は8月15日終戦記念日だった。今年は例年に比べ、戦争体験者の証言が多かったように感じる。これも安倍首相が「美しい国」と称し、「戦後レジームからの脱却」、「憲法改正」など、戦後60数年にわたり日本の採り続けた平和主義(非戦主義)を見直そうとする動きに対して、今まで沈黙していた戦争体験世代が危機感を持ち、生きている間に彼らが体験した戦争を、戦争を知らない世代に伝えなければと、口を開き始めたものだろう。

彼らの体験したのは泥臭い真実の戦争の姿であり、一方戦争を知らない世代の持つ戦争観は観念上の戦争でしかない。ところで戦争体験世代も戦争を体験する前は、戦時体制下で皇国史観の下、軍国少年軍国少女で戦争貫徹を誓っていた。つまり彼らも元々は今の再軍備論者と同じく、観念的な戦争観しか持っていなかった訳である。

そのようにして実際の戦争に突入し通り抜けた彼らは、戦後敵国アメリカによってもたらされた民主主義を受容し、憲法9条の平和主義・非戦主義を大多数は支持していたと言ってよいと思う。そして日本の平和主義は60数年にわたって、いろいろ問題はあるにせよ日本の復興と繁栄を支えてきたわけである。そういう意味では日本は戦後の米ソ核軍拡競争の冷戦構造の中で、平和主義によって大きな成功を遂げたと言っても間違いではないと思う。

こうして実際に戦争を体験した世代は、戦後の平和主義をアメリカに押し付けられたと言って否定はせず、大多数は支持してきたということができよう。そしてリアルな戦争を知らない世代が安易な国家主義や再軍備論に傾くのを憂慮しており、当時の軍国主義や戦争体験を証言する動きが出ているものと思われる。

戦後生まれの私が学生のときは、まだ従軍経験のある教師がいて、いかに国家権力が個人を圧殺したかを教えられたものだが、今の若い世代はそういうことを伝える人もいなくなっているのだろう。時間とともに戦争の現実は忘れ去られようとしていることは間違いない現実である。

とかく私たちは「日本人は水と安全とはただと思っている」などと政治家のようなものを言いがちだが、現実の戦争に直面したとき、全く次元が違っていたことを戦争体験者は訴えたいのだろう。現在の平和主義というものが、日本人だけでも300万人もの犠牲者の上に立てられている、極めて重いものであることを、今年の終戦記念日では改めて認識させられた。

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2006年11月26日 (日)

高松探訪

昨日用事で高松に行った。用事は娘の所属する大学の吹奏楽部の演奏会を見に行くことだった。行きは時間に余裕があったので宇野からフェリーで高松港まで行った。天気はいまひとつだったが瀬戸大橋も見えた。フェリーの運賃は3300円で橋を渡るより安い。時間のあるときは船もなかなかいいものだ。高松に着くと栗林公園に行った。紅葉シーズンでかなり観光客も来ていた。

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栗林公園を出てさぬきうどんを食べようと車でうろうろしたが、意外に高松には車で入れるようなうどん屋が少ない。途中で高松市民クリスマスの広報バイク(?)に出会った。がんばってますね。倉敷市民クリスマスもがんばらないと。やっと1軒うどん屋を見つけて入ったら、セルフサービスの大衆食堂という感じで安くておいしかった。私が食べたのはてんぷらうどんだったが、海老天が2本、かぼちゃのてんぷらとかき揚げが入って450円だった。

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そのあとサンポート高松のコンサート会場に行った。学生たちが生まじめに演奏していた。腕前は初心者が多い割にはなかなかのものだった。帰りは夕方に長年ネパールで医療宣教をしておられたKドクターのお宅に夕食に招かれていたので高速道路と瀬戸大橋を通って帰った。Kドクター宅ではネパール料理をご馳走になった。スパイシーでおいしい。Kご夫妻は物凄く優秀な方だがとても気さくで、ネパールを始めいろんな外国のお話を聞いているとあっという間に時間がたっていた。こんな素敵な人たちと交わりができることは本当に幸いなことだ。盛り沢山な一日だった。

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2006年4月 9日 (日)

岡山もついに桜が咲いた。近所の公園に見に行った。

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毎年思うことだが、桜は木全体が花に被われ、ほんのひと時、見る者に楽しみを与えてくれる。この時ほど季節の移り変わりの速さを感じる時はない。

一年は春夏秋冬と四つの季節に分けられるが、大きくは桜が咲いてから紅葉までが夏、落葉から桜までが冬と二つに分かれるように思う。桜が散るともう緑の萌出でるいのちの夏が始まる。

公園には花見客がバーベキューをやっていて、過ぎ行く季節を惜しんでいた。池には鴨やヌートリアもせっせと泳ぎまわって春を楽しんでいた。

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