初めの愛
「エペソにある教会の御使いに書き送れ。『右手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方が言われる。 「わたしは、あなたの行ないとあなたの労苦と忍耐を知っている。また、あなたが、悪い者たちをがまんすることができず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたことも知っている。あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行ないをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。」(新改訳ヨハネの黙示録2:1-5)
先日、水島サロンで聖約教団のコンベンションが行われた。今回は講師にクリストファー・サン師を迎えて、若者による賛美やゴスペルフラなどが披露された。
クリストファー・サン師は台湾系アメリカ人で、もともとアメリカのカリフォルニアで建築士をしていたが、25年前に召命を受け伝道者になった。そしてアジアやアフリカ、ロシアなど多くの国々でサッカースタジアムなどで大規模な野外集会を行っている人で、来年は岡山で大規模な伝道集会を計画している(http://www.christophersun.org/en/home/index.html)。
サン師は伝道者と聞いていたので修養会でどんなメッセージをされるのか興味を持っていたが、力強い語り口は伝道者そのものだったが、内容は極めて深いもので感銘を受けた。ヨハネの黙示録の2章から、7つの教会へのメッセージの解き明かしをされた。7つの教会は、教会史の中の各時代の教会を象徴していると言われていると語られた。
その中で強く印象に残ったのは、最初のエペソの教会へのメッセージだった。エペソの教会は忍耐強く、また間違った教えを見破り、正統な教理を守ったが、イエスによって非難される。それは教会がイエスに対する「初めの愛」を失ってしまったからだった。教会はキリストの花嫁であり、もし愛を失ったら夫婦として成り立たなくなってしまう。イエスは悔い改めを求められ、「悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう」とまで言われる。それほどにイエスは私たちの愛を求めておられるのだ。
マルタはイエスをもてなすためにかいがいしく働いた。一方マリアはイエスの足元で聞き入っていた。イエスは、マリアに何とか言ってくれというマルタに「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。 しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」(新改訳ルカ10:41-42)と言われた。
私たち教会はイエスを夫として愛しているだろうか。イエスよりも他のものを愛していないだろうか。私たちもいつのまにかイエスへの愛よりも、伝道や奉仕や教勢や財政などに心が捕らわれていないだろうか。もしそうなら「どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行ないをしなさい」とイエスは言われる。
| 固定リンク





コメント