« フィリピンの結婚式 | トップページ | 地の果てまで »

2007年6月16日 (土)

高山右近とコレヒドール島

ゴールデンウイークにフィリピンでのM姉とB兄の結婚式に出たあと、帰りの飛行機が8日まで取れなかったので、結婚式の翌日の日曜日、新婚のB夫妻にマニラ市内の教会の礼拝に連れて行ってもらった。フィリピン人の教会はタガログ語のメッセージのため、英語の礼拝をしているUnion Church of Manilaに連れて行ってくれた。ここはインターナショナルチャーチで世界各国から来たクリスチャンが集まっているが、アメリカの教会を持ってきた感じで、1000人ぐらい入れる非常にりっぱな建物だった。メッセージはヨハネ21章のペテロにイエスが三度「わたしを愛しますか?」と言われたところから、神からの和解と召命についてだった。イエスは三度裏切り、世に戻ろうとしたペテロに近づき、三度ペテロを赦し、神の側から和解をしてくださり、再召命を与え後を託されたのだった。

Img_0965_1 Img_0966 Img_0967 Img_0969

午後は高山右近の像があるプラザディラウというところにある公園に連れて行ってもらった。高山右近は徳川家康により1614年にマニラに追放された。彼は高槻城主で、高槻の町は25000人の人口のうち18000人がキリシタンになったという。ちょうど大阪城攻めに合わせたように右近とその一族は長崎から出港した。マニラでは右近らを偉大な信仰の勇者として、国賓並みの歓迎をしたという。(http://www.hi-ho.ne.jp/luke852/ukon.html)その後プラザディラウ付近に400人ほどの日本人村ができていたという。しかし現在は高山右近のことを知っているフィリピン人はほとんどなく、右近を顕彰した銅像の存在も知られていないようだ。

Img_1010 Img_1013 Img_1019 Img_1020

翌日、コレヒドール島というところにB夫妻とT牧師と観光に行った。コレヒドール島はマニラ湾の入り口の戦略上重要な場所にあり、歴史的に何度も激しい戦闘が行われた場所で、現在も軍事施設がある。マニラ港から船で1時間ほどかかった。

Img_1044 Img_1049 Img_1050 Img_1056

上陸すると電車風のバスで観光する。それぞれガイドがついていて、戦争のとき何年に誰が何をしたと英語で説明していた。私たちのバスのガイドはスペイン系フィリピン人女性で、日本軍が行ったことをこと細かに説明していた。日本軍の侵攻とマッカーサーのこと、バターン死の行進のこと、台湾人の従軍慰安婦のこと、マニラに火を放ったこと等々、十分には聞き取れなかったが、胸が痛む思いがした。台湾人のT牧師もただ「悲しい、悲しい」と言われていた。

Img_1061 Img_1065 Img_1075 Img_1082

日本兵の慰霊碑のある公園もあったが、アメリカとフィリピンの友好公園は大規模で、アメリカ兵がフィリピン兵を助けている銅像がある。碑文にはアメリカとフィリピンが共に敵(enemy)と戦ったと書かれていて、日本とは書いていないが、アメリカは正義の味方、日本は侵略者というイメージがフィリピンでは一般的であることを肌で感じた。多分にアメリカの政治的な意図も感じるが、太平洋戦争のときの日本軍の行為は必ずしも残虐な動機はなかったのかも知れないが、フィリピンの人たちは日本に対して深いところで今も傷つけられた意識を持っていることがわかった。その理由のひとつは英語がしゃべれないために心の交流ができないコミュニケーション能力の欠如も要因ではないかと思う。

Img_1077_1 Img_1076_2 Img_1090 Img_1103

コレヒドールからマニラに帰って、迎えに来てくれたG夫妻に、日本はフィリピンの人たちに迷惑をかけたことを詫びると、しばらくの沈黙ののち、それを聞いてとても嬉しかったと言われた。前日のメッセージは「和解」が主題であったが、キリストは神と私たちの和解を実現され、そしてキリストは私たちにあって人との和解をもたらされるということを実感させられる旅であった。

|

« フィリピンの結婚式 | トップページ | 地の果てまで »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/19980/6799604

この記事へのトラックバック一覧です: 高山右近とコレヒドール島:

« フィリピンの結婚式 | トップページ | 地の果てまで »