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2006年5月26日 (金)

F・シェーファーの本

今日は久々に東京に出張した。仕事が早めに終わったので、御茶の水のCLCに寄った。

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いろいろ物色していると、有名な福音主義の神学者のフランシス・シェーファーの「真に霊的であること(原題:True Spirituality)」という本が目に留まった。シェーファーの「そこに存在する神」や「神の沈黙?」など、福音主義キリスト教を擁護する書物を以前読んだことがあるが、霊性に関する本は意外だったので思い切って購入した。この本には「よみがえる現代の名著!」という帯が付いていて、どうも最近の霊性ブームを受けて1976年に発行されたものの復刻版のようだ。

http://www.wlpm.or.jp/cgi-bin/d/book_db.cgi?keys33=%92%86%93%87%8E%E7

序の中でシェーファーは10数年間牧師として働いたあと霊的危機に直面し、その後熟考の末、無限の人格的神が実在することと、キリスト教が真理であることを知るのに全く十分な理由があることが再びわかり、それがスイスでのラブリの働きにつながって行ったという。

彼はその危機について「問題は、私がキリスト者になってから受けたすべての教えにかかわらず、私達の現在の生活に対する完成されたキリストのみわざの意味に関して聖書が何と言っているかについて、私がほとんど聞いていなかった、ということであることがわかってきた。」と述べている。

そして「真の霊性についての基礎的考察」の章で、ローマ書6章から私たちが積極的な実を結ぶためには、私たちが瞬間瞬間すべての物事に対して死ぬことがまず必要だという。そしてその後初めて私の内に生きておられるよみがえり栄化されたキリストが実を結ばれるのだと言う。シェーファーはこれを「能動的受動性」と述べている。

私は最近、霊性ということに関心を持って考えて来たが、結局、パウロの言うキリストの十字架と復活のうちにリアルな霊的ないのちがあるということがクリアになって、目からウロコの思いがする。でもシェーファーほどの人でもそれがわかるまでに何十年もかかったというのは感慨深い。多分頭が良すぎたのかも。

「 しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、 しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。」(新改訳1コリント1:23-24)

まだ残り半分以上あるので続けて読み進めたい。

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コメント

毎回更新を楽しみに拝見しています。
ブックレポートも楽しみにしています。

投稿: カレーパンマン | 2006年5月27日 (土) 00時04分

カレーパンマンさん、コメントありがとうございます。
シェーファーの本は求道者の時に読んで直接、間接に影響を受けました。「それでは如何に生きるべきか」の中に「知的自殺」ということばが出てきますが、元々は実存主義が宗教的な事柄を非理性の領域に追いやったことに対して用いられていますが、僕はこのことばが気に入り、自分の理性に頼ることをやめ(死に)、キリストを信じる(賭ける)という意味で「知的自殺」ということばを使ったりしていたものです。
この「真に霊的であること」は元々テープを起こしたものだそうで、他の本のように哲学用語でなく易しいことばでかかれているので読みやすいです。

投稿: ニコデモ | 2006年5月27日 (土) 15時32分

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